3月1日に〝キックオフ〟したエッセイも、3回目を迎えました。
まだ新型コロナウィルスの不安が続く毎日ですが、経済対策など、感染を抑え込んだ先のことも議論され始めました。今日より明日、明日より明後日に、明るい兆しが見えてくることを願うばかりです。ラグビー界も、前回エッセイをアップした3月11日以降もひとつ、またひとつと大会や活動が中止に追い込まれている中で、3月14日には、南半球諸国を中心に展開されていた国際リーグ「スーパーラグビー(SR)」も中断が決まりました。日本から参戦していたサンウルブズにとっては今季がラストシーズンだけに、この中止のままの終焉はなんとか回避できないかと思う次第です。
サンウルブズがSRに参戦するために結成されたのは2016年のシーズンです。ラグビーファンの方はご存じだと思いますが、そもそもSRは南半球のラグビー強国(ニュージーランド=NZ・オーストラリア・南アフリカ)が、各国選手の強化のために、国境を跨いで設立したプロリーグです。
そこに北半球の日本が参画したのも、昨秋のワールドカップ日本大会(RWC)へ向けた代表強化が大きな理由でした。日本代表強化のためには、NZやイングランドのような強豪国との試合は欠かせない。しかし強化に必要な試合数が確保できない中で、日本協会(JRFU)には代表クラスの選手がプレーするSRで選手を鍛えたいという思惑がありました。南北半球という地理的なハンデキャップはあれど、NZ・オーストラリアとは時差の問題はない。同時に、この2国とはラグビーでは伝統的に密接な交流があったことも、日本チーム・サンウルブズの参戦を後押ししたのです。
SR加入時の契約が5シーズンだったこと、日本と他国との移動に伴う選手のコンデションやコストという諸問題を理由に契約延長が許されなかったようですが、日本でラグビーに携わってきた者としては本当に残念なことです。
しかし、いままでサンウルブズが私たちにもたらしてくれたことも、忘れてはいけないと考えています。
サンウルブズ誕生前の日本のラグビー場というのは、古株の「ラグビー通」といったファンが大半でした。日本のラグビーは、こういうオールドファンに支えられてきたのも事実ですが、若い人たちが魅力を感じて集まるスポーツでも、スタジアムでもなかったのです。
でも、日本開催のサンウルブズの試合を観戦して驚かされたのは、いままでとは全く違う人たちがスタンドを埋めていたことです。若い女性が派手なサンウルブズのジャージーを着て来場したり、「お母さん世代」の女性もチームキャラクターの狼の耳がついたカチューシャをして歓声をあげている。誰もが、キャンプや野外で行われる音楽イベントに参加するような気持ちで、秩父宮ラグビー場に集まってきてくれたのです。試合を怖い顔でじっと見ているのではなく、ひとつひとつのプレーに拍手をして、笑い、エンジョイして過ごしている。まさに試合を楽しむ雰囲気が満ち溢れていたのです。
このSRが日本にやってきたことは、私にもさまざまな影響がありました。私が区議会議員になって2年目だった2016年6月に、知人からSRの強豪ワラターズのCEOを紹介されたのです。シドニーを州都とするオーストラリア・ニューサウスウェールズ(NSW)州が拠点の強豪チームは、SRでの試合を契機に日本での交流やスポンサー獲得を図りたいと考えていたのです。そのため、RWCに向けて秩父宮ラグビー場を擁する港区ラグビーフットボール協会会長として何か地域活動をしたいと考えている私に声がかかった。このことが、翌年のワラターズ対サントリーを目玉とした「秩父宮みなとラグビーまつり2017」の開催につながったのです。
私の方でもチームを迎えるために何をするべきかと考え、ワラターズの試合を数回視察しました。そこでは、チームがNSW州ラグビー協会と一体になって動いていることで、地域とも密接に連携して試合やイベントができていることを学びました。チーム・協会・自治体が一体となる組織体が運営するとうまくいく。「秩父宮みなとラグビーまつり」開催に向けて、とてもよいヒントをもらいました。最終的にはサンウルブズとの試合の2日前に地元の港区立港南小学校での出前授業による子ども達との交流や、オーストラリア大使館のレセプションホールをお借りして、オーストラリア・ニュージーランド商工会議所と一緒に日本で初となるSRチームの「歓迎パーティー」などを開催しました。翌2018年にはワラターズに加えてキャンベラを拠点とするオーストラリアもう一つの強豪、ブランビーズも来日して、港区に拠点を持つNEC、サントリーと対戦。そして昨年はサンウルブズとブランビーズのSRでの試合を、「秩父宮みなとラグビーまつり」の一環として実現できたのです。
試合当日には、東京メトロ外苑前駅から秩父宮ラグビー場、国立競技場へと続く通称「スタジアム通り」を車線規制による歩行者天国化して、ラグビー体験コーナーなどさまざなまな催しを開催。屋台やキッチンカーなどにも来てもらい、秩父宮ラグビー場を中心にして、ファンやファン以外の方も楽しめる空間作りに取り組んだのです。
この空間が、RWCを開催することは実際どういうものなのかを実感させてくれる機会になりました。ワラターズやTLチームとスタジアム周辺の商店や企業も巻き込んだ一大イベントを実際に行ったことが、いい経験値になったのです。もっと港区の地域資源・地域資産を生かしたことをやっていこうという考えがここからスタートして、RWCで私たちが港区で実施した盛り上げイベントやパブリックビューイングの取り組みにつながったのです。
大成功の中でRWCが終わり、あの熱気、雰囲気をTLにつなげていこうというときに、新型コロナウィルスで、このような状況になってしまったのが本当に残念です。でも、RWCやSRでファンを喜ばせたエンタテインメント的な要素を、どう継承していくかは考えていく必要があると思っています。それが新リーグ構想なのか、日本代表なのか。あまり望んではいないですが、サンウルブズが予定通り今季でSRから離脱したとしても、このチームの誕生、そしてSR参戦が、いままで日本では体験できなかったラグビーの楽しみ方やRWCのようなイベントがどういうものかなど、もたらしてくれた意義は大きいはずです。このようなレガシー(遺産)というパスを、どう次へと繋いで、ゲインライン(現状)を突破していくかが大切なことですし、私自身の前への歩き方。だと日々考えています。